杉村敏之-雑記

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シジュウイチ

仕事帰りのこと。停留所の列でバスを待っていると、ひどく酒の匂いをさせる男が隣に並んだ。
視界の片隅で捉えた男は、覚束ない足もとで体を前後に揺らすほど、したたかに酔っているようである。
酩酊した男とこのまま近接してバスを待つことに不安を覚え、手元の携帯電話から顔をあげる。するとこちらと目のあったその男はやおら破顔し話しかけてきた。

「おお。これはこれは」

酔客は近所に住む男であった。家の周りで見かける際には、必ずみすぼらしい藍色の着流しに足もとは高下駄という出で立ちで、この夜は珍しく洋風の装いのためすぐに彼だと気が付かなかった。

「ああ。こんばんは」

彼は、変った男である。加えておそらくアルコールに強く依存している。シラフの時を見たことがない。若い頃から文章をやっていて、現在は俳句の同人誌を編集しているらしい。この日も、句会の帰りだそうだ。ぼくも文章をすることを彼は知っていて、たまに会うと、共通の話題として、どうですか書いていますかというやり取りを互いに交わすのが通例となっている。

待っていたバスに乗り込むと、ぼくは最後列の窓際に座った。彼も乗客の少ないバスのなかを、ゆっくりとこちらに歩いてくると、蓋をするようにぼくの隣にどかっと腰を降ろした。互いの停留所までおよそ15分。この年老いた酔っぱらいとなにを話そうと少し憂鬱になっていると、彼は深く項垂れたままの姿勢で小さな緊張を破った。

「時に、無礼なことをお聴きするようですが、おいくつになられましたか」

男は常に酒気を帯びているが、決まって慇懃で、物腰は紳士的である。

「シジュウイチになりました」
「ほっ! シジュウイチですか。いやいやまだまだお若い。羨ましいやら、妬ましいやら。シジュウイチシジュウイチ」

シジュウイチの響きを殊の外気に入ったのか、そう繰り返すうちに、静かな寝息を立て始める。なんだか救われた気になって、窓の外に流れる慣れた景色をひたすら追いかけた。