杉村敏之-雑記

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しがみつく。

年の瀬に壁時計をプレゼントしてもらった。
それまで、自室には携帯電話以外に時計というものがなく、結構不便をしていた。
そこでかねてよりの念願だった壁時計を贈ってもらったという次第だ。
自宅に持ち帰り、簡易な包装をはがし時計を裸にした。
時計のぐるりを囲む木目が美しく、文字盤に控えめな数字が並ぶデザインをぼくは気に入っている。
部屋の殺風景な壁の一角に取り付ける場所を定め、いざ時刻をあわせこの時計に本来の役割を与えてやろうという段になってはてと思った。
時計の裏面にも側面にも、もちろんのこと表面にも時間をあわせる「ツマミ」のようなものがどこにもないのだ。
裏面にあるのは、単4電池1本を格納するスペースと、小さな穴っぽこが2つ。
どうやって時間を合わせるのだろうと少し途方に暮れて、電池をとりあえず挿入した。
するとどうだろう。
比喩でも洒落でもなんでもない。
電気が走ったみたいにして時計の針が突然すごい勢いでぐるぐると回り出した。
秒針、分針、時針が文字盤の上をさらうようにして、我先にと猛然と追いかけっこをはじめたのだった。
その様子はひどく楽しそうでもあった。
が、それを眺める自分はひどく不安になった。
ぐるぐる、ぐるぐる。ぐるぐる、ぐるぐると早い。とにかく早い。
しばらく呆気にとられて両手で時計を掲げながらその様を眺めていた。
目が回った。
まともじゃなかった。
まるで自分の「時間」が不当にねじ曲げられて、「秩序」とか「世界」とかいう埒の外に一人放り出されたようだった。
どれくらいの間そうしていただろう。
ずっと持っていた。
じっと待っていた。
やがて針は正確な時刻を指し示したところで見慣れた速度に落ち着く。
その時計は電波時計というやつだった。
そうとも知らずに針に自分の内側までかき回されてひどく取り乱した。
しかし、その激しい回転運動は、普段時間をおおいに浪費している自分にとって、非常に示唆的だった。
この猛烈な運動にぼくは振り落とされてはいけないのだと強く思った。
ぼくは、このそれぞれの針にしがみついて、外に投げ出されないように一生懸命にならなければいけないと思った。
しがみつく指先の感覚がどんなに麻痺しても、回り続けることに酔いをどれほど感じても、離すわけにはいかない。
離したらきっとなにかを見失う。