杉村敏之-雑記

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壊れた電気スタンドとランプが示唆した狼狽パターン。

続けさまに電化製品や家電が壊れるって巷説は、ほんとうにほんとうで、最近立て続けに自室のスタンドとランプが壊れた。
一つはベッド脇に置いてある読書用の電気スタンドで、とにかく明るいのでやたらと首の長い使い勝手の悪さが気にいっていなかったものの長いこと我慢をして使っていた。
それを起きしな、けたたましく鳴る携帯のアラームを黙らせようと振り回した腕で、結果、ラリアットのようなかたちでその華奢な首を見事にへし折ってしまったのがつい先月のこと。
そして先の週末、仕事机で八面六臂の活躍をしていた大のお気に入り、Jasper MorrisonのPorciniがくたばった。
こちらは破壊したスタンドとは逆に、いささか頼りない明かりで結構不便をしていたが、その愛らしいデザインがたまらんく好きで大切に使っていたものだった。
んで、この一連の出来事になにを思ったかというと、深層に横たわる心理や意識みたいなものがカタチとしてあらわれ実際の事象として逆提示みたいなことをされると人はドキッとするものだということ。
というのも、ベッド脇のスタンドはそのデザインに飽きてそろそろ買い換えようかななんて思っていたところで、机のランプはあまりにもその暗さに不便を感じて、こちらも同様そろそろ新しいのを探してみようかと思っていたところで、どちらもその矢先に双方使い物にならなくなってしまい、なんとも不可思議な気分になり、そしておおいに戸惑った。あわわあわわと狼狽えた。
これは、そろそろ別れよっかな、なんて漫然と思っていた恋人からある日突然別れを切り出され、なにがなんだか分からないうちに一方的に身を引かれてしまった男の狼狽えにも通じるものがあって、えらく無様な戸惑いだった。
おまけにその別れ際、涙でぐちょぐちょになった細い声で「大好きだったよ」だなんて、その後しばらくあとを引きそうなトドメまでさされて、そんなに好きでもなかった女を喪失した小さな悲しみのうえに、「別れ」を棚上げして、いつまでも自分から切り出さずにいた己の弱さや不誠実みたいなすげー大きなものまで背負わされて、果てしなく深い自己嫌悪の無限地獄に突き落とされる、といったパターンに実によく似ているね、ふっはっは。
南無。