杉村敏之-雑記

文章ウェブの制作、承り〼。

リアルな痛覚とももに最初の一歩をぼくは大きく踏み出すのだよ

どうやら新年が明けたようです。
ようです、とまるで他人事のような物言いなのは、ここまで実感を伴わない年明けをかつて迎えたことがないからであって、そもそも一週間まえの大掃除でビカビカに磨き上げたはずの風呂場の天井に一筋の拭き残しを見つけてしまったのが運の尽きっちゅーもんで、全裸で椅子に登ってゴシゴシとその汚れと取っ組み合っているうちにどうやら年越しをしていた、ようです、というわけであります。
にしてもイベント事や年中行事からここのところ一切の関心が消え失せてしまったのは、どういうわけであろうか。
これが大人になっていくということなのかしらんと思うと果てしなくつまらない気持ちになって、なにがしかの理不尽な理由に要請されて、長く急勾配な階段―しかもそれは螺旋階段で―を無理矢理かなりの勢いで駆け下りているようなそんなどうしようもない感じになってしまうけれど、やっぱりそれはちょっと違う気もするね。
とにかく、すくなくても以前であれば、「ゆく年くる年」などの好番組や横浜港の汽笛なぞは自分のなかでかなりマストな存在であったはずで、熱を失った今との違いはなによ?
おおむね自分の生活はだらしのない一本調子の直線の上にあって、そこに区切りを与えてくれるという意味のみにおいてぼくは正月やその他の年中行事を頼もしく思うものだけれど、それすら「へー、ふーん」とただやり過ごすようになってしまった自分の活力のなさにゾゾッ。
そうだ、こんな時は足の爪を切りましょう。そんなに長くはないけどとにかく切りましょう。
変に入ったこのスイッチのありようというか正体、もしくは因と果を結ぶ拠り所はまるでうまく言い表せないけれど、そうゆえに確信めいた予感の強いきらめきがそこにはあって、爪を切ったらエブリシングゴナビーオーケー、そんな気がものすごくするし、ここでは気がものすごくすることこそが最も尊くて素晴らしい。
だから。
2011年がよい一年になるように、思いっきり深く切ってしまいましょう。ちくっとしたって、ちーとばかり血が滲んだってちっとも構うもんですか。
深爪ゆえのリアルな痛覚とももに最初の一歩をぼくはそうして大きく踏み出すのだよ。よっこらしょってね。