有隣堂本店やかつての松坂屋があった伊勢佐木モールから一本桜木町側に路地を分け入ると、そこは福富町と呼ばれるちょっとした歓楽街で、ソープランドやらカジノやらの呼び込みが四つ辻のそこかしこに立ち、彼ら商売のかき入れ時となる夕方から夜半にかけては賑やかなことこの上ないのであるが、やはり歓楽街といえどもこのご時世、凋落の激しいところは路上に落ちる影もなんだか陰気くさくて、そんなところに突っ立ってる呼び込みは自然、身なりも悪く、おつむも弱い、この街の負け組どもであることが多い。
その街の一角に、小さな韓国料理屋があって、そこが非常にうまいキムチやチャンジャをパックで持たせてくれる店で、ぼくはたまに母の使いで仕事帰りに立ち寄ることがある。
場所が場所だけに日が暮れる頃にシャッターを開けて、夜通し店はやっているので、仕事の帰りがどんなに遅くなろうとも行けば必ずその店の灯りはこうこうとついている。
先日もそんな調子で、出がけに「キムチお願いね」と言われていたことを思い出し、ずいぶん遅くにその店に立ち寄ることに決めて界隈の錯綜した路地を歩いていると、小汚い爺さんが暗闇から自分を呼び止めるので、多少怯えながらも歩みを止めて、その爺さんと正対した。
その汚い爺さん、地べたにあぐらをかいたまま座り込んで、かたわらには飲み散らかしたとおぼしき酒の缶やら瓶やらを転がしている。
こちらがいつまでも黙っていると、爺さんは、不機嫌そうな表情のまま、「いいチャリだろ。なあ」とおもむろに言った。
ヨボヨボの爺さんと彼が放った「チャリ」という言葉のアンバランスに大きな違和感を覚えながらも彼が顎で指し示したところを見れば、いわゆる普通のママチャリが一台あって、実は全然普通じゃないこのママチャリのハンドル部分にはこれでもかというくらいミラーが盛られていて、爺さんの言ったチャリはこれに違いないと確信した。
「13枚ついてんだ」
こちらがなんにも言わないのに爺さん自慢げに言うと、欠けた前歯の間から息を少しだけ漏らした。
爺さんが笑ったのだと気がついたのは随分とあとのことで、その時のぼくはこの紅蓮の炎とも、仏像の光背とも見えるママチャリの馬鹿馬鹿しいまでの禍々しさに完全にやられていた。
場末の歓楽街、精液と生ゴミの匂いがむんむんと立ちこめる路地裏で、アーケードにかかる蛍光灯の青白い明滅を跳ね返す13枚の鏡に映るのは、きっと過去、現在、未来すべてで、それは決して覗きこんではならない不吉なもので、血の涙で汚れた自分の顔であるような気がしてひどく恐ろしかった。
感想を述べるのを忘れその場に立ち尽くしていると、「13枚はいかにも半端だが、奇数ってのは縁起がいいやね」とかなんとかぶつぶつ言っていよいよ不気味で、なおも硬直していると、「でもねー、おれのじゃねーのー」と言ってなにが可笑しいのか爺さん、此度ははっきりと笑い袋のように激しく笑い出したので、じっくりと圧をかけてくる恐怖に抗えなくなってその場から逃げるようにして直線的に街を駆けた。
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